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大見えを切るような「心臓の人間」、空飛ぶ「背美鯨(せみくじら)」、骨格標本のような「アーチ構造」−。岐阜市宇佐の県美術館で開催中の彫刻家天野裕夫さん(四九)=瑞浪市出身=の作品展「エネルギッシュ・ワンダーランド」は、陶、ブロンズ、さらに自然石を使い、人間や動物の四肢、内臓、骨格、さらに植物や都市までが融合・合体した作品が並び、自由奔放に広がるイメージの世界が見る者を遊ばせてくれる。”創造”と”想像”が混然一体となった天野ワールドを作家自らが語った。
.−天野さんの作品は、腕や脚、口、はては心臓や筋肉までが作品になってしまう。生き物の表面(形)を作りながら、その内部(内臓や骨格の世界)も見せてしまう。
天野 動物には動く機能がある。それが形になり力を漂わせる。機能は形の根拠であり、心臓は血液を流すために存在する、そこにくっきりとした世界が浮かび出す。人間も動物も外だけではなく内があって存在する。子供のころ船、ロケットを描いてもその内部を描くことが楽しかった。図鑑で骨の構造を見るのも好きだった。外と内部を〃いれこ"に同時に作っていくと、知らない自分の世界が〃ブアーッ"と出てくる感じがする。
−当初の陶、ブロンズから、最近は石ころを使った作品も増えている。
天野 河原で拾ってきたような石って形に無理がない。フォルムに対する感性も強化される。そんな石を使ったら、最初から自分で始めなくても、野菜が育つように作品が”成る”んですよ。種まいて肥料やったら、できちゃったという感じ。確かに自分で作っているんだけど、どこか向こうが作ってくれている。
−人や動物が主だった作品に、「バオバブ・ライオン」のように植物も入ってきた。動物の背中や頭に植物が生えてくる。クジラやナマズの背に都市があったりする。
天野 最初はライオンだったが、試作しているうちにライオンのイメージが小さくなり、植物(バオバブ)になっていった。植物はこれからです。都市や集落は僕にとって、古里・大湫とつながっている。大湫は山上の盆地のような地形に集落、世界がある。僕にとって大湫は、空中都市・ラピュタなんです。
−そもそも彫刻をやりたいと思ったのは。
天野 子供のころから家中に絵を描いた。四つのころ子供雑誌で汽車の絵が入賞し三輪車をもらった。小学生のころは油粘土で遊んだ。高校生のころは青木繁、ゴッホのようなドラマチックな生き方に感動し、ゴッホの絵もよく写していた。
−多摩美術大時代、外部の影響は。
天野 当時は前衛的なモノ派の時代。やはり現代美術、インスタレーションをやろうと思っていた。東京という大都会に酔い、実際にも酒びたりの生活だった。教育演習でみんなが使った陶土を集めて作り始めた。子供のころから好きだった粘土がやっばり面白いと思って始めた。「面白いじゃないか」と回りもほめてくれ、個展でも作品が半分は売れた。子供の時から好きだった粘土細工に帰った感じです。
−他の作家の影響は?
天野 学生時代、現代彫刻はむしろ見ないようにしていた。僕は作る人間で、見る人間ではないから小説、音楽、演劇、映画でいいから、制作のエネルギーになるようなものを身に付ければいいんだ、と考えていた。
−彫刻の面白さって何ですか?
天野 こうしてしゃべることと同じだ。ただ僕にとっては、誰かに何かを働きかけることが彫刻なんです。見る人が面白ければ何かが伝わる。自分が面白くなければ伝えられない。自分のためだけれど、人や世界に向けて彫刻をしている。
−天野さんは、生き物を融合・合体、世界を再構成する。そんな異形を作ることができるのは、「神」だけなのに、とも思ってしまう。
天野 自分で言うのも変ですが、バチがあたるともどこかで思っていた。「ガリバ旅行記」(スウィフト作)の空中都市、ブリューゲルの「バベルの塔」にも引かれたんですが、世界を俯瞰(ふかん)するのが好きだった。空中都市は僕の古里・大湫の記憶、イメージそのものでもあるんです。そんな世界のヒナ型を作りたいんですよ。
−これまでの歩みをどうとらえますか。
天野 自分のやっていることは周辺、美術界では支流だと思っていた。彫刻屋でいいんだと思っていた。それが、県美術館で扱っていただけたことに驚きも少しある。そんな時代にもなってきたのかなとも感じた。
−作家として作品とどう接してほしいですか。
天野 その世界に入り込んでほしい。世界を外から眺めるのでなく、内にも入ってほしい。「バオバブ・ライオン」だったら実際に、子供なら中にも入れるんです。展示の場によって作品も変わる。それは自分でも驚きであり、喜びだった。展覧会は作家自身にとってもそのだいご味は大きいと思っています。
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県美術館クロスアート「エネルギッシュ・ワンダーランド天野裕夫展」では48点を展示。20日まで。また、岐阜市栗矢田町、ギャラリーパスワールドでは天野さんの小品展を開催。展示は約60点。18日まで。
岐阜新聞
2003.05.09
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